YAMAHA XJ400
高3の夏、バイクの免許を取ったのは、当時ひそかに家出を計画していたからだ。頭のデキが悪いタカハシにとって学校は地獄でしかなく、大学進学なんぞもってのほか、高校まではギリ我慢するとして、卒業したらすぐに家を飛び出そうと考えていた。が、移動にいちいち電車賃がかかるのがイヤだったから、中型二輪免許を取ってバイクに乗ることを思いついた。
当時は三ナイ運動のただなかで、高校生がバイクの免許を取ることもバイクを買うこともバイクに乗ることも御法度だったが、ろくに根拠のないカス校則なんぞに従う義理はどこにもなく、今さらそれをそろそろ時効だなどと言うつもりもない。
教習所で講習をうけていちばん驚いたのは、「バイクは転倒する」という衝撃の事実を知ったときだった。タカハシはそれまで実物のバイクをほとんど見たことがなく、バイクの転倒も見たことがなかったから、あんなデカイ機械がまさか転ぶとは思わず、内部にジャイロ装置くらいは仕込んであって、絶対転ばないようにできてるものと思い込んでいた。安全教育フィルムの中でスッ転んでいるバイクを初めて見たときは、こんなものに乗る連中は頭がおかしいと、だいぶ批判的な気分にさせられたものだった。
それでも家出だけはどうしてもしたかったので、もらっていた奨学金(というのは内緒だったんだけど、まあこれはそろそろ時効)をつぎこんでバイクの購入資金にした。遠くに逃げるなら排気量が大きいヨンヒャクがいいと思い、近所の店で中古のヤマハXJ400を18万円で買った。ヘルメットを買う金はなかったから、店員にマケろマケろとしつこく交渉して、いちばん安い黒ヘルメットをつけてもらった。

写真はたしか初めて峠を走ったときのもの。いかにも初心者まるだしのフォームが見苦しいが、それでもバイクは性にあったのか、ツーリングに出かけたり、近所の峠に日参したり、シグナルGPの敵手を探して街をうろついたりと、平均的な当時のバイク少年並みに一通りの楽しみが味わえた。
ところでタカハシの家出計画は、けっきょく実現しなかった。たまたま知り合ったバイク仲間に「そんなに勉強したくないなら美大に行けば? ラクガキさえしてりゃ誰でも卒業できるんだし」とそそのかされ、それを真に受けて急きょ美大を受験したら合格してしまい、そのまま卒業して貧乏イラストレーターになってしまった。
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Comments
当時のバイク小僧の生活が目に浮かびます♪
当時から速そうなライダーだったんでしょうねぇ。
そのバイク仲間に言われて美大へ!?
その人凄いですね!
Posted by: ジェームズ | 2018.09.11 20:24
バイク仲間の冗談を真に受けて美大に行っちゃうような人は、やっぱりただのバカなんじゃないかって気も……。
当時も今も、たいして変わり映えのしないタコライダー暮らしですよ~~(^_^;)
Posted by: タカハシ | 2018.09.13 13:30
いつも楽しく拝見しています。京都・ペケジェーと懐かしいですね。私は84年まで京都に居ました。将軍山とか山中越えとか良く走ってました。この写真は嵐山高雄?周山街道?まだ雪が残っているのに気合の入った走りですね!
Posted by: カワセミ | 2018.09.14 22:25
カワセミさん、はじめまして☆
ご返事が遅れてすみません~~(>_<)
ご愛読ありがとうございます! うれしいです~☆
この写真は亀岡か摂津あたりのマイナーな峠なんですがはっきり場所を覚えてなくて。
僕は82年から京都でバイクに乗ってて、将軍塚や山中越もよく走ってました(^O^) 周山街道や花折峠にもよく通いました。どこかで出会ってるかもしれませんね(^O^)
このブログのGSX750SKATANAの記事でも同じ峠と嵐山高雄の写真をあげてます。よかったらそちらもぜひどうぞ☆
http://katz.air-nifty.com/mecha/2006/04/gsx750s_katana.html
Posted by: タカハシ | 2018.09.28 12:22